街の悪戯書きを「グラフィティ」、書いている人を「グラフィティライター」と言うらしい。「タグ」はスプレーした単色の文字で、タグを書くことを「タギング」と言う。「スローアップ」は文字の内側を別の色で塗ったもので、塗る行為もスローアップと言っていいという。この本から得た知識だ。
この物語は2つの新旧対立が軸になっている。著名なグラフィティライターは輸入された反体制的なカウンターカルチャーとしてのグラフィティをイリーガルに書き続けていた。同世代のライターたちは商業アートに転向して生計を立てたり、家族を持って生活が落ち着き足を洗っていたりした。だがグラフィティライターを続けている彼は気が向くと夜の街へ向かって行く。
その著名な彼に近づいてきた若いグラフィティライターは、公共物にスプレーで塗りたくることを良しとしない若い世代の代表であることを自負していた。剝がしても跡が付かないステッカーがストリートでの表現方法だった。さらに新しい手段を考えだし著名なグラフィティライターに挑んでいく。
一方、謎の新進気鋭ストリートアーティストを発掘したのはグラフィティに造詣が深いフォトグラファーだった。そのアーティストの作品に興味を持ち、周辺取材を始めた作家が最初に接触したのは当然のことながらそのフォトグラファーで、そこでグラフィティの歴史や背景の知識を得る。お互いの人間模様があり、ここでも新旧交代が描かれることになる。フォトグラファーに代わって作家がこの謎のアーティストの解説者として位置づけられるようになっていった。
ところで、二人のグラフィティライターはキャンバスとして他人の家の壁や商店街のシャッターは選ばなかった。彼らのセンスからすると最初から選択肢にはなかったと解釈できる。もし、そこら辺にグラフィティと称して悪戯書きしていたら、この世界で名前が売れていたり、フォトグラファーの目に留まったという彼らのレベルにも疑問符がついただろう。そうならなくて良かった。
昨年2023年後半から今年2024年前半にかけて大分、京都、東京の3か所でMUCA展が開催された。MUCAとはドイツのミュンヘンにあるアーバン・アートと現代アートを収集している美術館 Museum of Urban & Contemporary Art のこと。展示アーティストの中で僕が好きな KAWS はきれいすぎるし、企業とのコラボ作品もあって商業アートに偏向しているためかこの本には紹介されなかったが、インベーダーは日本の街中にも作品を残したこともあって、きちんと解説されていた。渋谷区が進めた緊急避難先の方向を示す「シブヤ・アロー・プロジェクト」も説明されている。この小説、最近の動向もフォローしていた。
話しは本に戻る。「イッツ・ダ・ボム」の単行本ではどこかの駐車場の壁に書かれたタイトルのスローアップが表紙になっていた。写真だ。印象が強すぎて、文章から私の頭の中に浮かぶ二人のライターによるグラフィティのイメージからずれていて気持ち悪さが残った。
それはそれとして、グラフィティの文化は輸入されたものだ。この本が英語に翻訳され海外で発表されるなら、現地でどのように評価されるだろうか。映画化されるかもしれない。映像によるイメージの固定化がどのような効果を現すかにも興味がある。人気が出てくれば小説にあるタグやスローアップの現場が聖地巡礼の対象となり、多くの人が集まってくるかもしれない。
第2弾にも想像が膨らむ。小中学生のグラフィックライターが現れ新進気鋭のライターと対決するとか、センスのある女性ストリートアーティストによって後半の主人公の素性が暴かれるとか、いろんなことが考えられて面白そうだ。オリンピックで13歳女性のスケートボード金メダリストが誕生するくらいだから、あながち外れた設定ではないように思うのだが、どうだろうか。前半の主人公である作家に対しても新しいグラフィティの守護神が現れ、次の新旧交代があるかもしれない。一読者の期待に過ぎないが……
(岩城佑哉、2024年10月12日)