朝のテレビ情報番組を見ていたら湖の向こう岸に紅葉している風景が流れていました。東京からは離れている場所でしたが、都内の公園の様子はどうだろうかと気になってやってきたのが洗足池公園でした。

 JR山手線の五反田駅で東急池上線で乗り換えて6つ目の洗足池駅です。小さな駅ですが、ホームを降りて地上改札口を出ると目の前の空が開けていてそこが洗足池公園です。交通量がそこそこある中原街道の信号が青になると向かい側が公園の休憩所になっています。2階建ての建物の屋上が開放されていましたので、狭い階段を登って池の全体を見渡してみました。全体的にはまだ緑色が多いのですが、向かい側の岸辺は少し黄色だったり赤くなっていましたし、向かって右側には赤くなっている木もありました。

 そちらまで歩いてみることにしました。

 一周1.2キロの4分の3ぐらいが遊歩道として整備されています。時計回りに歩いてみます。右手に池の風景を眺めながら進んだ先には三連の太鼓橋がありました。「松月橋」です。橋を渡ると目の前が千束八幡神社です。別名洗足池八幡宮です。

 平安時代末期に源頼朝が挙兵し、態勢を立て直した拠点の一つで、その時にこの付近で出会った名馬がその後の源平合戦で活躍したと伝わっています。その馬の銅像もありました。

 休憩所のちょうど反対側には池に突き出た弁天島があり、厳島神社が祀られていました。す。柿の木が色づいていました。

 池の北東側には水生植物園に橋が掛けられ、水の中を泳いでいる鯉や水の上で浮いているカモが近くに見ることができます。私は橋の上から弁天島の紅葉や、少し遠い三連太鼓橋を眺めているといきなりバタバタという音が……  カモが手摺にとまっていました。

 広場は周りに木々が植えられており、色づき始めていました。てっぺんが赤、途中が黄色、地上近くが緑のまま。変わり目の現在の時期は一本の木で進み具合がわかります。

 遊具の間を通っていると、江戸時代末期に艦船咸臨丸で渡米し、後に江戸城の無血開城で幕府側として交渉に当たった勝海舟が妻と一緒に祀られており、その横には明治政府側の交渉相手だった西郷隆盛から贈られた詩の碑もあります。

 遊歩道はこの辺りで終わり。公園を出て住宅地の中の道路を進みます。お寺は日蓮宗の妙福寺です。日蓮が旅の途中で休憩したこの池で「足を洗った」という言い伝えが「洗足」の地名になったともされています。その時に着ていた袈裟を掛けたという松の木が代を引き継いで立っていました。隣の図書館は昼間は横の道を開放していましたので、その間を縫って出ていくと中原街道に戻ってきました。洗足池駅もすぐ近くです。

 一周1キロ程度ですが、ゆっくり歩いて景色を眺めていると1時間ぐらい経ってしまいました。